体験レポート

2019/07/21

『魁!熟年高校演劇』体験レポート【加藤 剛史さん】

 

本番からもう3週間以上経つ。


早い。とても早い。

 

気付いたらレポートを書くつもりで、全然何もやれていなかった。

 

加藤です。


遅い。とても遅い。

 

この間、実行委員の方々がちゃんとしたレポートをインスタに載っけてくれていた。


もういいんじゃないかな?

 

と思う気持ちもありますが、書くと約束したので書きます。

 

お寺での約束を違える、そんな恐ろしいこと僕には出来ないのですよ。

 

さて、

何だったんだろう、あれは。
あの日々は。
不思議な稽古だった。
不思議な公演だった。
何かにつき動かされるように創作して、創作物をまた何かに捧げるような想いで上演した。

 

相手の役者と対峙/対話する。
お客さんとも対峙/対話する。
場所や空間と対峙/対話する。


演劇というか、パフォーミングアーツの中には、コミュニケーションの回路がいくつもある。

 

妙祥寺での2公演に、改めてはっきりと教えられた。

 


その場その時にしかその表現が出来ないのは、世界がもう二度とその時その場と、全く同じ条件にはなりえないから。

 


同じメンバーと同じ台本と同じ会場でも、同じ公演ではない。

 

お客さんは都度変わる。時は流れる。社会情勢が変わる。役者が置かれている環境も変わる。

 

伝わり方も受け取り方も、ときにまるで変わってしまう。

 

演劇はジレンマ込み込みのメディア。再現不可能なる再現芸術。

 

だけど不思議なもので、条件の整ったホールやスタジオでばかりやっていると、そんな大前提をうっかり忘れてしまうことがある。

 

作品が、観客が、作り手のコントロール下に置けるだなんて思ったら、それはとても不幸な思い違いだ。

 

妙祥寺公演。

 


同じ演目を昼と夜にやった。
やった筈だ。
やった筈なのにだ。
全っ然、違う。
まるで違う。
作品の立ち上がり方、役者の集中力、客席の受け止め方、同じ言葉でもまるで違って響く。

 

ナンダコレハ。

 

こんな経験は初めてでした。

 

正直、昼公演は場所に飲まれた感が否めない。


後半になればなるほど、場が緩んでいったのが解ったし、観てくれた知人にも言われたけれど、

 

皮肉が皮肉として伝わらなくて、その積み重ねが結果としてコミュニケーション不全みたいになった。

 


(オムニバスだし、よっしゃ!という場面だって勿論あったのだけれども。)

 


どれ程稽古を重ねても、初演の幕が上がるまで、その時その場お客さんの前で作品が立ち上がるまで、

演劇の真の姿は誰にも解らない。

 

わかってはいたけれど、こうも思う通りいかないものか。

 

本堂の持つ、空間の力と共存するのに、あぁ、もっと何か手を打っていかねば!

 

と、終演時の僕は大いに焦りました。

 

そんな昼公演。

 

夜公演…については、インスタ上でまとめて頂いていますね。ありがたや。

 

昼〜夜の準備時、役者を休ませたい思いもあったのですが、稽古を入れました。

 

「誰そ彼」チームについて、思いっきりテンション高くやり切って下さいっ!的な、脳筋アドバイスばっかりしました。

 

台本も3ページくらいカットしました。この際細かいことより、演者もお客さんも全速力で笑いながら走り

 

抜けてしまえば良いのだ。これでいいのだ。自己暗示。

 

そんな不安のまま迎えた夜公演。


お客さんは昼に大勢見えたし、平日夜は大丈夫か…?と思っていましたが、無事に席は埋まっていきます。

夜はそして、若いお客さんも多い様子。

昼に出来なかった下準備もこなして、さぁいざ本番。幕間劇①〜「彼は誰」へと続く序盤戦です。

序盤から気付きます。あれ、同じ作品なのにちがうぞ、と。

 

2回目だから、夜の中だから、客層が違うから。

 

要素は色々あると思いますが、何だかうまくハマっていく。

 

あるいはポテンシャル以上が引き出されていく。

 

瑣末なミスもあるけれどしれっと乗り越えて、パフォーマンスが本堂の中で強かに立ち上がっていく。

 

まずは安堵しました。

…いやさ。

安堵できると思いました。


でも突然「ビィィィィ!!!」と、あちらこちらからけたけましい音が鳴ります。

 

どうしたどうした!?どうやら携帯電話が鳴っている。

マナーモードを強制解除して、緊急地震速報が鳴っているのでした。

お客さんは当然手持ちのスマホを確認します。これは仕方ない。僕達もすぐ調べます。

幸い、震源地は伊東沖で、こちらは微弱な地震となるようでした。

公演は続行可能と裏で我々は判断していました。

そして舞台上。さぞ困ったかと思いきや。

…普通に芝居は続いていました。

普通に芝居が続いているものだから、一度慌てたお客さん達も、ちょっとしたらまた観劇に戻っています。

そして、ちゃんと笑いどころで笑っていたりする。

これにはこちらが驚かされました。

シニア俳優のタフさとそれに付き合うお客さんのタフさ。

ちょっと狂気の世界だと思いました。

そしてユーモアとは僕が思う以上に、ヤバいものなんだと気付かされました。

地震に怯えた一分後に、瑣末な台詞に笑えるのって、人間のヤバさ。

ヤバいくらいの可能性だな、と。

 


(ちなみに確認したら、演者たちは地震アラームに気付いていなかったとのこと。

何かぴーぴーしてるな、それどころじゃないけど、みたいな感じだったそうです。

こっちのヤバさはちとまた違うヤバさでありました。)

 

危機は脱しました。転換時、安全面の確認が取れたため公演を続行するとアナウンスして、

幕間劇②〜「誰そ彼」に続きます。


こちらも昼間とはまるで違う客席の反応。

変更点も問題なく処理されていく。

あぁ頼もしきかなフジシニアート。


勿論細かい点で気になることはあるけれど、幕が開いたら作品は演者のもの。

爆走している(暴走も?)、満喫してくれている様子を、演出者はただ応援しつつ見守るより他はないのです。いつでも。

 

そしてやがて、昼とはまるで違う、苦味と笑いの中で公演は終わりました。


「誰そ彼」も、いずれ時間をおいてから、またやれればと思います。

 

そしていよいよ幕間劇③で公演は終わります。

僕はこのとき、完全に安心していました。

もうあと10分で無事に公演終了。

次のことばかり考えていました。


と、聞こえてきます。


声が。


遠くから拡声器の声が聞こえてきます。


「こちらはぁ〜広報ぅ、ふじです。」


…広報ふじ!?何事か!間延びした声はそして告げます。

市内に大雨洪水警報が発令された、と。


実際、公演前は大雨でした。

でもあがってから公演は始まって、安堵していたのです。

またかよ、雨。

そして地震に続いてまたかよ、トラブル。

そうこうしているうちに、打ちつける猛烈な雨音のカット・イン。

幸いにして台詞は聞こえるし、お客さんも劇で笑ってくれている(お客さん強い!)。

雨よ早く行ってくれ。祈りつつ芝居は進行します。


と、突然の発光。雷です。とうとう雷まで落ちてきた。

どこまで自然を相手に公演するのか。この時点で僕の脳みそはキャパを超えています。

どぉなっちゃってんだよ×3。
…。


しかし。不思議です。雷が落ちた頃合。

舞台上は「ロミオとジュリエット」のバルコニーのシーンを模していました。

そこでそして語られていたのは、こんな台詞でした。

「(いきなり愛を誓い合うのは)まるで、

『光った』と言う間もなく、消えてしまう稲妻だもの。」

…そして再びの雷どーーーん。
…!?

 


え、演出?演出なのこの空模様は??

 

空から降ってきた思いがけない効果でした。公演後には、天気を味方につけたね!

などと言われましたが、いやはや、そんなこと狙って出来るはずもなく、さしづめ梅雨空の粋なはからい、みたいなことでしょうか。

 

人智を超えた体験が寺公演にはありました。


お寺で芝居をするとはこーいうことなのか…?はー。

 

 

何でしょう。

 

どうまとめましょうか。

 

さて。

 


人間は演劇を描く。

演劇は人間を描く。

人間はままならない。

だから演劇もままならない。

ままならないから足掻く。

死ぬまで死ぬほど足掻く。

思えば当たり前だ。

そんな当たり前できること。

尊いな、有り難いな、と噛み締めつつ。

次を描きつつ。

 

プラステラスフジヤマ公演、フジシニアートによる、

 

魁!熟年高校演劇、

 

これにて終演です。

 


またの機会にも、お会いできるのを楽しみに!

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